お正月に河治和香さんの鍼師おしゃあを読んだ。おしゃあの生涯の恋人となる男性が瀬戸内の小さな島出身の漁師で文盲という設定だった。
幕末なので砲術航海術をその過程でオランダ語を学び、文盲だったけれども耳がよく記憶力がよく(歌も上手で)活躍した。後に日本語も読み書きできるようになった。
という話で文盲、大人になっても字が読めないということにここ最近興味を持っていた。
その延長線で機能的非識字についても知った。
読んだつもりで読んだふり♫(むりやり笑いに転ずるのはエトワル流)
ちょっとずつ研究中。
言った言わない、じゃあ、紙に残す、メールに残す、それはしていてもトラブル、ミスは起きる。
なんでか。
このサイトの東芝の例がよくわかる。
字は読めて書けて、でも現実社会でどうなるかが理解できない(読めない)方を言うのだろうな。
字はツールだもん。お金もツールやな。
まずは生きていくため、その後には社会のため、人は働く、自分以外の他人を育てる、そこが理解できなければ、
まさに机上の空論で困ったことになる。
特に文中の咀嚼して(わかりやすく噛み砕いて)の能力には個人差があり、結果途中で理解するのを挫折したり投げ出したりもあるだろう。
機能的非識字、私もまだ腹落ちするほど理解はしていないが、エトワルをするうえでのヒントがあるように、主婦の勘by名取裕子をこれまた感じたので引き続きウォッチングしていこうと思う。
話は戻るけどその恋人(庄八)は、むっちゃええ男で、でも身分的には低い。士農工商で農(漁師)かな。でも江戸に出てきて、武士の身分で小さい時から武芸の鍛錬をした方よりも、結果出世というか活躍する。
非識字だけど機能的には優れていたというわけだ。
本を沢山読む、学歴がある、裕福である、だから必ずしも優れているわけではないの良い見本のような好青年。
どう好青年かは読んでみたらわかるわ、まじすごいで。
あ、鍼師おしゃあは師匠の本おや!!さんオススメの本です。
そんなこんなで、このホームページも一定の役割を終えたかなと思ったけど、
溢れる私の感受性、チャレンジ魂を受けとめてくれる存在でもあるので、まだ続けることにした。
特に誰に読んでもらいたいとかより、
自分から自分への手紙。
日記文学なんかもしれない(笑)
→ツッコミなしで全力疾走マイルール!!
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